戦国時代のはじめ、 高城氏は根本内城を本拠としていたが、 勢力が増大し手狭になったもで要害の地大谷口に新たに小金錠を築城し当地方支配の体制を強化した。
中根城は、小金錠の出城で南方防御の前線である。高城氏は有力な武士を配して防備をかためた。 武士を新作に住まわせ、日常は濃厚に従事させ、有事には出勤できる態勢をとらせた。新作は武士の居住集落として発生した。
豊臣秀吉の関東攻めで高城氏は敗れ、滅亡した。中根城守備の武士は帰農し、新作は農家集落となった。
新しい村づくりの新作住民は、郷土の平安と繁栄を希求して少彦名命を勧請し、安房須神社を現在地に創建した。慶長11年(1606)である。その後明治41年村落内にに分散奉祀されていた猿田彦命(道祖神)、菅原道真命(天神社)を同神社に合祀した。
安房須神社は三柱の鎮座するお宮であり、古来からあつく信仰されている安産の神、子育ての神、学問の神のいます宮居である。
境内由緒書より