みのわすわじんじゃ
神奈川県横浜市港北区箕輪町3-8-9
当社は、文安元年に箕輪村の鎮守として祀られたと伝えられており、御神体は長さ六寸の木像で、三間に二間の拝殿が本殿に造り添えられ、前には木の鳥居が建ち、例祭日は七月二十四日であった、と『新編武蔵風土記..
当社は、文安元年に箕輪村の鎮守として祀られたと伝えられており、御神体は長さ六寸の木像で、三間に二間の拝殿が本殿に造り添えられ、前には木の鳥居が建ち、例祭日は七月二十四日であった、と『新編武蔵風土記稿』に記されている。 また、安永五年の同村景谷山東観寺大聖院の記録には、その「支配宮」であったことが明記されている。 大正三年十月八日、部落内に鎮座する御嶽社、稲荷社、天神社、神明社、厳島神社、道祖神を合併し、箕輪の総鎮守として崇拝され、現今の発展を見るに至っている。
武御名方命、天照大神、大己貴命、少彦名命、倉稲魂命、国常立命、菅原天神、猿田彦命、市杵島姫命
文安元年