こうぜんじ
石川県七尾市飯川町2-3-2
当山の沿革は、印度の高僧善無畏三蔵が有縁の地を寺屋敷に定めてから、七堂伽藍や多くの僧坊いらかを並べ、 石動山天平寺と共に大寺院として栄えたが、 天正年間七尾城と共に上杉謙信の兵乱にかかり、堂塔すべて..
当山の沿革は、印度の高僧善無畏三蔵が有縁の地を寺屋敷に定めてから、七堂伽藍や多くの僧坊いらかを並べ、 石動山天平寺と共に大寺院として栄えたが、 天正年間七尾城と共に上杉謙信の兵乱にかかり、堂塔すべて灰燼にきした。ときの住僧、 看照法印が、 戦火をまぬかれた観世音菩薩一尊と共に、 南方かなた紫雲たなびく現在地にうつり、 一宇を再興されて、ご本尊不動明王を安置し、千古の歴史を秘めた霊場として、今日に至っている。
養老年間、善無畏三蔵が御お堂を建てたに始まる。上杉謙信により焼かれたが天平寺とともに再興された。
摩尼山
高野山真言宗
不動明王
善無畏三蔵
看照法印
北陸三十六不動霊場第十番 北陸白寿観音霊場三十三札所第二十一番
徳田駅から徒歩16分(1.2km)
無料
有り