なかすくにひろいなりじんじゃ
福岡県福岡市博多区中洲5丁目6-28
江戸後期、天保年間、筑前黒田藩は、藩の財政立て直しの為、中島浜新地(現中島町付近)に歓楽地帯を設置し、芝居や富くじを催した。同時に那珂川寄りの耕地を、騎馬地とし、又、その周囲に桜・藤等を植え、茶屋を..
江戸後期、天保年間、筑前黒田藩は、藩の財政立て直しの為、中島浜新地(現中島町付近)に歓楽地帯を設置し、芝居や富くじを催した。同時に那珂川寄りの耕地を、騎馬地とし、又、その周囲に桜・藤等を植え、茶屋をつくった。中洲岡新地、現在の中洲町のはじまりである。 中洲岡新地の繁栄にともない、天保五年(一ハ三四年)それまでは小さな社であった中洲稲荷神社が改装されることとなった。立派な神殿や石灯籠が寄進され、樹木に囲まれた境内には、地元有志や芸妓の名を彫った玉垣もでき、名称も中洲國廣稲荷神社と改められた。以来、時代の幾変遷はあったものの、中洲唯一の守り神、商売繁盛の神様として、諸人の崇拝を集め、今日にいたっている。 今後とも、いつまでも変ることなく中洲が益々繁栄することを祈り、幾久しく、中洲國廣稲荷神社の御加護を祈念する次第である。
1834年に、小さな社だった中洲稲荷神社が改装され、中洲國廣稲荷神社となった。
倉稲魂命
無格社
西鉄バス 東中洲バス停より徒歩2分 福岡市営地下鉄 中洲川端駅より徒歩2分
無し