嘉禄三年亥正月(1227)当所の地頭大隈修理大夫大隈山を社領境内とし社殿建立、天正八年辰九月兵乱の節焼失其後千年末と言ふ神躰とし文禄二年(1593)巳四月二十五日洪水の砌天満宮の躰神千年松の本に留り給ふを里民元の如く安置す、同五年二十四日洪水有りて同神躰同所にに流れ来り翌二十五日早朝見付け俄かに九尺四方の折掛けり草社建立産神とす、慶安三年(1650)神殿一宇再興明暦二年(1656)拝殿一宇再興明治六年三月十四日村社に定められ、同十四年八月十五日郷社に列せらる。
祭神菅原神は久留米市裏町無格社天満宮として祭祀ありしを明治四十三年三月十四日合併許可。