ほうぞうじ
三重県名張市平尾3232
寺伝によれば、奈良興福寺文書に興福寺末と記載あり、奈良時代は法相宗であったという。また伊賀記に天武天皇(在位673~86)勅願寺にして…の記あり、さらに寺伝として聖武天皇(在位724~49)の時、勅..
寺伝によれば、奈良興福寺文書に興福寺末と記載あり、奈良時代は法相宗であったという。また伊賀記に天武天皇(在位673~86)勅願寺にして…の記あり、さらに寺伝として聖武天皇(在位724~49)の時、勅願により僧行基をして法蔵阿弥陀仏を刻ましめこれを安置す(明治十七年地誌上申書による)と伝えられ、いずれにせよ当山はかなり往昔の草創と考えられるが、天正九年(1581)の伊賀乱ですべて焼失し、縁起の由来は不詳となってしまっている。「簗瀬村地誌取調書」に「天正の兵火にかかり焼滅す。慶長九年再建のとき芝野より移す。中興を成賢と称し、月照山と改む」とある。もとは平尾山蓮光院と称したようである。さらに当山の過去帳には成賢阿闍梨を再興初代とし、二代行盛阿闍梨の代を中興開山とされている。天正の兵災後、成賢が再興し、行盛が堂宇を造営し寺格整え開山とされたのだろう。慶長十八年(1613)奈良県の御杖神社の棟札に「宝蔵寺大阿闍梨行盛」の銘があり、当時この地方まで寺威を広げた由緒ある大寺であったことがわかる。現在は慶長九年に移り来たといわれる名張駅前の平尾に所在し、月照山、蓮光院、宝蔵寺と号し檀信徒の信仰を集め今日に至っている。庫裡は明治十八年改築、本堂は同三十七年(1904)に改築されたものである。山門は大正二年(1913)の改築とされているがこじんまりとなかなか風格のある山門である。境内に足を踏み入れると、不思議に古刹の雰囲気が伝わってくる。
月照山
蓮光院
高野山真言宗
慶長九年(1604)
無量寿仏(阿弥陀如来)
1604年
行盛阿闍梨
「三重四国八十八ヶ所霊場」第52番札所 「伊賀四国八十八ヶ所霊場」第55番札所
近鉄名張駅 徒歩3分
9:00〜17:00
無し