ばれきじんじゃ
青森県三戸郡三戸町大字川守田下比良19
享保10年、8代将軍 徳川吉宗は当時オランダから献上された「ペルシャ産の名馬」を、名馬の飼育の評価が高い盛岡藩に与えます。盛岡藩は、この名馬を三戸の住谷野牧で種馬として育てることにしましたが、改良が..
享保10年、8代将軍 徳川吉宗は当時オランダから献上された「ペルシャ産の名馬」を、名馬の飼育の評価が高い盛岡藩に与えます。盛岡藩は、この名馬を三戸の住谷野牧で種馬として育てることにしましたが、改良が上手くいかないまま亡くなってしまった。 馬の亡骸は埋葬されて、かたわらに墓の印として、「三葉の松」が植えられました。不思議なことに、その松の枝は西の方にしか伸びていきませんでした。 これをみた人々は、「馬が故郷のペルシャを慕っているのだ」と思いました。 寛保3年には、馬の飼育者であった石井玉葉が、追善の為に馬頭観世尊を祀り、句を添えて碑を建立した。後に、昭和21年3月に「馬暦神社」に改称され、今に至る。