じんのうじ
徳島県阿南市那賀川町八幡石川原49-2
豊臣時代、蜂須賀候に宥範なる僧随従して当寺に来り、中興の業を全うした。その祈願所として現住職まで26代。有部律の再興者で高野山円通寺(真別所)中興の学僧、密門律師は当寺より出づ。元は大覚寺派に属す。..
豊臣時代、蜂須賀候に宥範なる僧随従して当寺に来り、中興の業を全うした。その祈願所として現住職まで26代。有部律の再興者で高野山円通寺(真別所)中興の学僧、密門律師は当寺より出づ。元は大覚寺派に属す。阿波八本寺または阿波八門首の内、徳島南部の大寺5ケ寺を南方五ケ寺と称するが、その中の一寺であった。終戦時まで多くの寺領を有し、中本寺としてその偉容を誇る。ご本尊は大聖不動明王。奥本尊は、鎌倉期の薬師如来である。その他に御丈3mの大黒天を安置する。この大黒天は、走り大黒と称し、俵の上に乗る従来の大黒と異なり、自由自在に衆生を救う、功力絶大の大黒天神として、往古より信仰を集める。神応寺は、その名の通り、もと八幡神社の別当を兼ねる由緒正しい寺であり、大黒殿の中に、今もそのご神体をおまつりしている。神仏混合の完全な形を伝える寺として珍しい存在である。
宝池山
高野山真言宗
大聖不動明王
増吽上人
四国三十三観音霊場 第6番