すみよしじんじゃ
広島県呉市豊町御手洗338
江戸後期、瀬戸内各地の港との競合から御手洗港の拡張に迫られた広島藩は、文政11年(1828年)から一年かけて、当時「中国無双」と称された全長六十五間(約120m)の「千波子波止」を築きました。 ..
江戸後期、瀬戸内各地の港との競合から御手洗港の拡張に迫られた広島藩は、文政11年(1828年)から一年かけて、当時「中国無双」と称された全長六十五間(約120m)の「千波子波止」を築きました。 住吉神社はその鎮守として文政13年(1830年)に建立されたもので、藩の勘定奉行・筒井極人が蔵元である大坂の豪商・鴻池善右衛門へ神社寄進を依頼し、ほんの座興の話が思いがけず実現したという逸話が残されています。 本殿は、堺の住吉大社を正確に2分の1に写し、大坂で造らせてから組み立てたとされ、広島県の重要文化財に指定されています。境内の玉垣や石灯篭などは、町内ほか各地の問屋連中から寄進されており、中には花魁の源氏名も見られます。「高燈籠」は、当時の庄屋・金子忠左衛門が寄進したもので、当初波止の突端にあったものを明治期に移転しています。 なお、千波子波止の”波返し”には根元近くに鶴と亀が、中央部には瓢箪が浮き彫りされています。いずれも波止の永続と港の繁栄を祈願したもので、なでると延命長寿・無病息災が叶うとされています。
千波子波止の鎮守として、大坂の豪商・鴻池善右衛門が広島藩の求めに応じて寄進したもの。本殿は、堺の住吉大社を正確に2分の1に写し、大坂で造らせてから組み立てたとされ、広島県の重要文化財に指定されている。
文政13年 1830年
本殿(県重要文化財)
さんようバス 住吉神社前バス停すぐ