ひえじんじゃ
宮城県遠田郡美里町北浦字二又64
日枝神社の祭神大山咋命は大年神の御子で素佐男命の御孫にあたられる 此の方は荒廃した國土を開拓し 交通水利の便をはかり生産を髙め住みよい部落造りに住民を指揮して奔走し生涯を捧げた有りがたい神様である..
日枝神社の祭神大山咋命は大年神の御子で素佐男命の御孫にあたられる 此の方は荒廃した國土を開拓し 交通水利の便をはかり生産を髙め住みよい部落造りに住民を指揮して奔走し生涯を捧げた有りがたい神様である 当神社は 其の昔西南方にあたる照井の地に在った天台宗の髙雄山永久寺の守護神として祀られた山王権現であったが後年永久寺の廃滅後日枝神社と改めて奉齋したのである 明治四十四年四月各部落の神社を合祀して名実共に村社としての陣容を整い大正四年十一月には大正天皇御即位奉祝記念事業として参道を新設し 仝十一年九月には拜殿と楽殿を新築し昭和六年十二月には篤信家より大鳥居の寄進あり全く面目を一新したのである 毎年九月九日を祭日と定め又神輿は氏子の家内安全と五穀豊穣を祈って渡御する習はしとなっている 我等氏子一同は廣大な神徳を偲び祖先伝来の神社信仰の美徳を継承し 敬神親和の理想郷を建設して神恩に報いる覚悟である 昭和四十五年九月九日
(境内・日枝神社縁起碑より。一部現代仮名遣いに改め)
後鳥羽天皇の文治年間の勧請と伝えられる。即ち本社を距る東南一町許の照井と呼ぶ地に古昔高尾山永久寺と云える天台宗の古刹あり文治年間文覚上人の開基といわれ、本社は天台守護の神として同時に創祀されたものといわれている。明治のはじめ村社列格。...
大山咋命
旧村社
1185年~1190年(文治年間)
9月9日
JR陸羽東線北浦駅から徒歩で約12分
有り