てんじんじゃ
徳島県徳島市北田宮4丁目2-2
藤原時平の陰謀で無実の御難により、延喜元年(901)太宰権師に左遷された菅公は彫刻士に身を紛らし浪速天満港より出港。須磨・淡路島沿いに旅を続けられ、道中 春の嵐に遭遇し阿波国別宮川から雪の浦に漂着さ..
藤原時平の陰謀で無実の御難により、延喜元年(901)太宰権師に左遷された菅公は彫刻士に身を紛らし浪速天満港より出港。須磨・淡路島沿いに旅を続けられ、道中 春の嵐に遭遇し阿波国別宮川から雪の浦に漂着され この地に御聖廟された。 住人たちがさまざまに旅情をお慰め申し上げたので、菅公は深く喜悦されて約6ヶ月間滞在され、その間 村人の子供たちに儒学と筆法を伝授する寺子屋を開いて、御自筆百韻の連歌を当地の宝物として残された。村人は社殿を造り信仰の心厚くこの地を旅屋村と唱え、後に田宮村の地名がうまれたと伝えられている。 戦時中境内は、松茂の徳島海軍航空隊の弾薬庫が置かれ、大きな魚雷等も格納されていた。
徳島市北田宮にあり、菅公が約6ヶ月滞在され寺子屋を開いたと伝えられている。
管原道真
旧郷社
延喜5年
有り。