こうみょういん
和歌山県和歌山市有田屋町1
光明院は本堂、大師堂、阿弥陀堂、鎮守社等の諸堂が建ち並び、頼宣の御殿庭先にあった高さ7丈(23m余)、株周り4間(7m余)に及ぶ連理松(れんりのまつ)があったことが名所図会挿絵に描かれている。 ..
光明院は本堂、大師堂、阿弥陀堂、鎮守社等の諸堂が建ち並び、頼宣の御殿庭先にあった高さ7丈(23m余)、株周り4間(7m余)に及ぶ連理松(れんりのまつ)があったことが名所図会挿絵に描かれている。 当時安置されていた本尊・聖観世音は弘法大師の作とされ、霊験があったという。また、稲荷神、弁財天、歓喜天などの祠堂がある神仏合祀の寺であった。これらは昭和の罹災で焼滅、その後の区画整理などその面影を偲ぶべくもない。昭和27年頃から先々代吉澤妙泉師の手により、順次復興されてきた。 現在、本堂に聖観世音菩薩、弘法大師、不動明王、行者神変大菩薩(役小角)を安置する他、境内に三宝荒神、金比羅大九頭龍菩薩などの各小祠社が造られ、往時の神仏合祀の形を保っている。
創建は元亀3年(1572)雑賀町の地である。高野山から下ってきた快慶法印が開基。慶長元年(1596)に紀伊国主浅野家の祈祷所となり、元和5年(1619)頼宣の紀州入封とともに紀州徳川家祈祷所になった。
松龍山
高野山真言宗
元亀3年(1572)
聖観世音菩薩
快慶法印
和歌山西国三十三ヵ所 第三十一番
有り