だいせんじ
和歌山県和歌山市吹上5-4-31
武田氏滅亡後には、浅野長政が甲斐国主として甲斐大泉寺を浅野家菩提寺としたが、慶長5年(1600)浅野幸長あさのよしながが紀伊国主に移封された際、浅野家菩提寺として紀州大泉寺が建立された。幸長に随伴し..
武田氏滅亡後には、浅野長政が甲斐国主として甲斐大泉寺を浅野家菩提寺としたが、慶長5年(1600)浅野幸長あさのよしながが紀伊国主に移封された際、浅野家菩提寺として紀州大泉寺が建立された。幸長に随伴した甲斐大泉寺8代目和尚、陽山宗廣和尚による開山である。 本尊の聖観世音菩薩像は、行基菩薩古徳の作であり、天正年間に武田信玄により甲斐大泉寺に寄進されたものである。浅野家によって引き継がれ、蘇我十郎・五郎兄弟の作である脇仏の毘沙門天・不動明王とともに、現在の大泉寺に持参され安置されたものである。浅野家はのちに芸洲(広島)に転封されることとなるのだが、大泉寺は今も浅野家菩提寺となっている。 また境内には、江戸時代本草学(薬用を中心とした植物学)を大成させた人物として大きな功績を残した畔田翠山くろだすいざん(1792~1859)の墓と顕彰碑がある。
第7番大泉寺の本寺は、室町時代に甲斐の国に発祥している。大永元年(1521)甲斐国主武田信虎(信玄の父)が武田家菩提寺として、甲斐大泉寺を建立した。
曹源山
曹洞宗
慶長5年(1600)
聖観世音菩薩
陽山宗廣和尚
紀伊国主浅野幸長
和歌山西国三十三ヵ所 第七番
毎月18日夜に観音講
無料
あり