加支多神社は東南後藤堂にあり、もと市杵島神社と称し、市梓島姫命を祀れり。
勝間家の傳ふる所によれば、徃時楠氏の臣勝間某なるもの、敗軍の際祭神を負ふて、此の地に来たり、豪家新川氏の宅を訪ふて奉祀せんことを乞ひければ、新川氏其の手続をなし、国司に出願して奉祀せしものなりと。勝間氏の子孫は今も本地に居住せり。
明治5年、村社に列し、同42年7月12日、貝田の村社加支多神社(品陀別命)を合祀して今の社名に改め、同時に同字の村社熊城八幡神社(品陀別命)・無挌社熊城八幡神社(品陀別命)・字鶴原の村社大宮八幡神社(誉田別命)・字新家の同八幡神社(品陀別命)字浜田の同浜之神社(事代主命)・字布の無挌社八幡神社(誉田別命)・字古屋敷の同曽我神社を合祀し、大正4年4月神饌幣帛料供進社に指定せらる。