はちまんじんじゃ(ながつつみはちまんぐう)
栃木県芳賀郡益子町大字長堤914
後冷泉天皇の康平六年(1063)、源義家によって創祀された神社。戦勝の軍旗を納めた旧地であるという。 後、文治五年(1189)、右大将源頼朝が奥州藤原泰衡追討として当地に至った時、義家の吉例になら..
後冷泉天皇の康平六年(1063)、源義家によって創祀された神社。戦勝の軍旗を納めた旧地であるという。 後、文治五年(1189)、右大将源頼朝が奥州藤原泰衡追討として当地に至った時、義家の吉例にならい、領主宇都宮朝重に命じて当社へ戦勝を祈願させ奥羽平定後に、境内に接続する地四八町歩の社領を寄進したが戦国の世になって、領地は武人に押収され、社運は衰微。 嘉禄年中、常陸国佐白山の僧徒と徳倉布引山の僧徒との間で騒動が起き将軍実朝は宇都宮頼綱に鎮撫を命じた。 頼綱四男左衛門時朝は、当社に戦勝祈願して凶徒を押さえ、その勲功によって、時朝は笠間城主となり、馬場の敷石を寄進。その後も宇都宮氏の崇敬を受けたという。明治六年郷社に列格した。