あんようじ
山口県下関市豊浦町大字厚母郷541
光明皇后の発願によって創建された長門の国分尼寺の奥の院。 長府功山寺の開基毛利秀元が安養寺の寺号を厚母に遷し小刹を再建したものです。 厚母大仏(木造阿弥陀如来坐像)は像高296センチのいわゆる丈六..
光明皇后の発願によって創建された長門の国分尼寺の奥の院。 長府功山寺の開基毛利秀元が安養寺の寺号を厚母に遷し小刹を再建したものです。 厚母大仏(木造阿弥陀如来坐像)は像高296センチのいわゆる丈六仏。 内りを施した楠材の寄木造りで、現在は古色塗りを施され、 右手は手の平を前にして屈し、左手は手の平を上にしてひざにおき、両手とも第一指と第二指の先を接して上品下生(じょうぼんげしょう)という印を結んでいる。 藤原末期の造像で破損は少なく、当代有数の様式を具えた技巧は素晴らしい。 昭和4年(1929)に文部省告示で国宝に指定され、昭和25年(1950)、文化財保護法の施行により重要文化財に指定されました。
無量寿山
曹洞宗