はぐろじんじゃ
青森県弘前市大字宮地字宮本350
大同二年人皇五十一代平城天皇の御宇坂上田村麿将軍鬼神退治の為当國へ御下向の砌愛宕の南姥姑林と申す所に御陣屋をとらせ給う時生憎眼病を患い一時作戦停滞し日夜辛吟し給える時に或夜霊夢にて「これより西方の山..
大同二年人皇五十一代平城天皇の御宇坂上田村麿将軍鬼神退治の為当國へ御下向の砌愛宕の南姥姑林と申す所に御陣屋をとらせ給う時生憎眼病を患い一時作戦停滞し日夜辛吟し給える時に或夜霊夢にて「これより西方の山腹に清水の湧出す所ありそれにて眼を洗うときは必ず癒えん。」と即ち部下に探索申しつけたるに果せるかな泉あり。将軍礼拝をなしこれにて両眼を洗い旬日にして平癒し給い悉く鬼神を退治し御凱陣の折奉賽の祠を建立せりという。其後願主間宮氏山口氏森岡氏全備中守兼平伊豆守改築を重ね特に天明の飢饉に改築が行われており信仰の篤さを窮い知ることができる。爾来眼病の参拝者が多く眼病平癒した者数知れず東北、北海道に信者が多い。現在青森県名水の指定をうけ健康飲料としての利用者も多い。
大同二年(807)坂上田村麿が蝦夷討伐のみぎり眼病を患い霊夢によりこの泉を探しあて洗眼平癒したお礼に建立したと伝えられ、古来霊泉で眼病平癒した人は数知らず広く県内・秋田県・北海道の信者から信仰されています。
倉稲魂命・大己貴命・水波能女命・大山祇神
大同二年(807)
例祭日 旧六月二日
約10分
有り