いまくまのじんじゃ
宮城県名取市高舘川上字北台10
後陽成帝慶長5年(1600)庚子の勧請といい今熊野三社大権現熊野神社と称した。伊達政宗に命じて其の社を造営するところである。即ち同年4月17日辰の刻熊野神本郡前田村清水屋敷守屋藤兵衛なる者の家女に依..
後陽成帝慶長5年(1600)庚子の勧請といい今熊野三社大権現熊野神社と称した。伊達政宗に命じて其の社を造営するところである。即ち同年4月17日辰の刻熊野神本郡前田村清水屋敷守屋藤兵衛なる者の家女に依って神託あり、且彼女川上村赤坂山に登り注連縄幣束の内に座し極めて奇異の事をした。よって田村名主山田藤左衛門は玉造郡岩出山に到り以って其の事を政宗に告げたところ乃ち茂庭石見綱元をして其の事実を質さしめ其の山に社を造立せしめたのであった。明治の初現社号に改称、同5年村社列格、43年3月に供進社に指定された。