すがはらじんじゃ
大阪府東大阪市新家3-7-3
新家は新しく開かれた村という意味で、全国各地に同様の地名があります。本市の新家は、規矩氏によって開かれたと伝えられています。規矩氏は、戦国時代に栄えた和歌山県の根来寺に属する武士集団の一員でした。当..
新家は新しく開かれた村という意味で、全国各地に同様の地名があります。本市の新家は、規矩氏によって開かれたと伝えられています。規矩氏は、戦国時代に栄えた和歌山県の根来寺に属する武士集団の一員でした。当時全国統一を望む織田信長と敵対し、天正十三年(一五八五)羽柴秀吉による紀州攻めにあい、根来寺は焼失し人々は各地に離散しました。その後、元和二年(一六一六)規矩九右衛門と弟の新三郎がこの地を開拓し村をつくりました。当時の村高は周辺の村と比べて少なく二三六石と記録に残されています。 四代目の庄左衛門は幕府御用を勤める商人で、菱屋と称していました。宝永元年(一七〇四)大和川が付け替えられるとその子岩之助と新田の開発に参画し、合計約六八町余の菱屋西·中·東の三二新田を開発しました。 暗越奈良街道の北側に沿う家並の背後にある氏神の菅原神社は、字砂開の地にあり、菅原道真公を配っています。神社の石の鳥居には、「元禄皮寅十一年(一六九八)九月吉日願主菱屋庄左衛門・・・」の文字が認められ、新田開発者の庄左衛門が寄進したものであることがわかります。 社殿前に明和五年(一七六八)の石灯龍が在り、伊勢参宮の常夜灯能といわれています。火袋下面に天満宮と記されており、戦前まで天満宮と称されていたことから社名を刻んだものと思われます(東大阪市資料・他より)
新家と菅原神社 概説より
菅原道真公
夏祭:7月25日 秋祭(例祭):10月25日