わかみやはちまんじんじゃ
宮城県遠田郡美里町平針字若宮46
後鳥羽天皇の御宇の文治3年(1187)源義家が鎌倉の若宮八幡を勧請するところにして、後に田尻町大沢村鶴城に天正年中大崎義隆の臣、百々左京助隆元、其の居城の乾の方に移祀し、守護神と仰ぐ。天正16年8月..
後鳥羽天皇の御宇の文治3年(1187)源義家が鎌倉の若宮八幡を勧請するところにして、後に田尻町大沢村鶴城に天正年中大崎義隆の臣、百々左京助隆元、其の居城の乾の方に移祀し、守護神と仰ぐ。天正16年8月の伊達氏との交戦により落城。義隆・義元共に敗走した。時に家臣神霊を護持し、この地に祀り、當学院台長法印をして奉祀せしめたと古老の口碑に傳う。明治6年3月、村社に列す。