やちがしらじんじゃ
青森県三沢市三沢早稲田1254−25
小川原湖仏沼を控えしこの谷地頭の地は、専念寺跡、公家橘中納言道忠公の姫たちの物語と共に古来民間伝承の地なるも、近年その跡荒廃して定かならぬもの多く、昭和27年以来その保存と祭祀をつとめて今日に至る。..
小川原湖仏沼を控えしこの谷地頭の地は、専念寺跡、公家橘中納言道忠公の姫たちの物語と共に古来民間伝承の地なるも、近年その跡荒廃して定かならぬもの多く、昭和27年以来その保存と祭祀をつとめて今日に至る。南朝方の貴族武将等は、室町の初期南北朝合一により頓に力を失い、南部氏を頼りて当地方に潜入せしも南部氏亦中央に転身せしため下北半島よりこの地に至る激戦の地となり多くの犠牲を出せり。当時一般世上に聞ゆるをはばかりし南部氏のため、その事蹟今日わずかに小川原湖伝説として残れり。北畠親房公、吉野方面に陣歿し、その600年を期して所縁の者等小祀を起せしが、社殿狭小にして損傷多きため、湖の龍神を主として南朝方の英魂を慰めんため、改めて祭祀の社殿を造営し昭和五十年九月七日竣工落成に至った。
小川原湖大地主大神 ・ 天照大御神 ・ 北畠顕信命外 ・ 南朝方英霊
例祭日:7月24日
有り