ねんぶつじ
大阪府堺市堺区浜寺石津町東3-11-5
近年堺市土地開発の煽りを受けて、現地へ移築、中興されたものの、当寺開創の年代は祥かでない。ただ山号の乳岡山は百舌鳥古墳群の最西端、前方後円墳の上にあり、石津太神社の神宮寺といわれ、地元の人から「お山..
近年堺市土地開発の煽りを受けて、現地へ移築、中興されたものの、当寺開創の年代は祥かでない。ただ山号の乳岡山は百舌鳥古墳群の最西端、前方後円墳の上にあり、石津太神社の神宮寺といわれ、地元の人から「お山の寺」と呼ばれたという。山上に阿弥陀堂、観音堂、鐘楼などがあり、昔は村の中にある伽藍地であり、付近の上石津を観音寺村ともいった。乳岡山が野見宿禰とか、乳朝臣(ちのあそん)の墓であるなど諸説はあるが、野見宿禰自体、天平時代(700年代)記紀における伝説上の人であり、信はおきがたい。 いずれにしろ当時の高貴な地位の人が、豪族と関連のある菩提寺が発祥となったのであろう。 史実では開山位牌に「円譽養雲比丘尼」享保三年(1718)六月六日と記されてあり、貞享年間(1685年前後)浄土宗の一寺として養雲尼が再建したことは確かで、以来徳川幕府の寺社政策のもとに泉州三十三所霊場の第十一番として明治を迎えたようである。
乳岡山
浄土宗
阿弥陀如来
養雲尼
和泉西国三十三箇所第11番