あしたかじんじゃ
埼玉県深谷市武蔵野3283
御創建の年代は不詳ではありますが、室町時代末期 鉢形城城主 北条 氏邦 により領内の鬼門鎮護として厚く崇拝されていたと伝わります。氏邦は毎年九月二十八日を恒例日と定め、家臣を率いて参拝し幣帛及び神饌..
御創建の年代は不詳ではありますが、室町時代末期 鉢形城城主 北条 氏邦 により領内の鬼門鎮護として厚く崇拝されていたと伝わります。氏邦は毎年九月二十八日を恒例日と定め、家臣を率いて参拝し幣帛及び神饌を奉り祭礼を執行したといわれています。その際、神饌を奉るのに使われた御膳が、足高の膳であったことに由来し当神社を足髙神社と呼ぶようになったとも伝えています。 かつて御祭神については伝えがなく、長らく祭神不詳となっておりました。ところが大正年間、古い版木に刻まれた神代文字を解読したところ「おほものぬしのかみ」(大物主神)と読めることが判明し、大正十年に正式に届けられ認められました。 その他、病気平癒・星祭・荒神・鎮火天手長男神社・塞神・養蚕守護・軍人健康などの祈祷札の版木が残存していることから、広く諸祈祷を行ない、信仰を集めていたことを窺い知ることができます。 例祭日は九月二十八日でしたが、改暦や養蚕などによってしばしば変更され、大東亜戦争後に現在の十月十五日に落ち着きました。戦前には、春祭りと例祭に境内の燈籠が灯され社務所の後ろ側にあった神楽殿で、永田から呼んだ金鑽神楽の奉納演舞が行われ賑やかでした。 また、この両日には朝早く赤飯を蒸かして御供えをする氏子の姿も多く見られました。 平成元年の例祭には、新たなる平成の御世と花園村の百周年を記念して戦前の賑やかな祭礼の様子が再現され、当時を知る人々の郷愁を誘うと同時に、神社に関心の薄かった人々の祭りに対する意識を高める試みとなりました。 平成十七年には氏子・総代により、本殿並びに拝殿と稲荷神社の改修工事が行われ、同時に境内も整備され、田園風景に溶け込みより親しみやすい景観となりました。(埼玉県神社庁HP)
大物主大神
10月15日
有り