しょうけんじ
東京都中野区上高田1-1-10
応永の中期、江州栗田郡駒井城主・駒井掃部介高植、次代右近大夫宗高が菩提のためこの寺を建立した。 その後、15代の子・祐念了順出家し、寛永5年に江戸赤坂一ッ木に正見寺を建立する。 その後、江戸城外..
応永の中期、江州栗田郡駒井城主・駒井掃部介高植、次代右近大夫宗高が菩提のためこの寺を建立した。 その後、15代の子・祐念了順出家し、寛永5年に江戸赤坂一ッ木に正見寺を建立する。 その後、江戸城外壕御用となり明暦3年に四ッ谷南元町に移転するも、明治42年に日本博覧会の開催予定により、現在の中野に再度移転した。昭和20年、第二次大戦の戦災により金字は灰塵に帰したが、昭和46年本堂を再建し現在に至る。 墓地には、明和時代に江戸三美人の第一といわれた笠森お仙の墓がある。
専念山
寿光院
浄土真宗
本願寺派
応永中期(1400年頃)
阿弥陀如来
祐存法師
JR総武線・東中野駅(西口北側)下車5分。 地下鉄大江戸線・東中野駅下車6分。(JR東中野駅と連絡) 地下鉄東西線・落合駅下車5分。(中野寄り)