げんつうじ
東京都中野区上高田1-2-7
松本城主・小笠原長時は武田信玄と不和を生じ、戦に敗れ流浪の折、家臣に殺害された。長子・長隆は福島家重臣大橋某のもとにかくまわれていたが、思うところあり東本願寺にて出家し、武蔵野国豊島郡江戸の庄、湯島..
松本城主・小笠原長時は武田信玄と不和を生じ、戦に敗れ流浪の折、家臣に殺害された。長子・長隆は福島家重臣大橋某のもとにかくまわれていたが、思うところあり東本願寺にて出家し、武蔵野国豊島郡江戸の庄、湯島南ヶ岡下花笠村東本願寺掛書に奉職した。 慶長15年御坊地内に一宇を建立するが、明暦3年明暦の大火(振袖火事)にて焼失し、明暦13年広沢新田(現・西浅草1丁目)に移る。 文化3年江戸大火にて再度焼失し、文化7年浅草清島町(現・束上野6丁目)へ移転した。 明治41年府令により豊多摩耶中野町字大塚の現在地に移転、今日に至る。 文化財としては、親鴬聖人絵像(370年程昔に下附)。三朝高僧真影。聖徳太子真影(寛文13年下附)などがある。墓地には河竹黙阿弥の墓がある。
金臺山
真宗大谷派
慶長15年(1615)
小笠原甚五衛門長隆(裕尊)
JR総武線・東中野駅(西口北側)下車5分。 地下鉄大江戸線・東中野駅下車6分。(JR東中野駅と連絡) 地下鉄東西線・落合駅下車5分。(中野寄り)