りゅうこうじ
東京都中野区上高田1-2-12
寛永6年(1629)玄門道幽和尚により、牛込津久戸明神下・隆慶橋際に開創された。 もと釈迦分院と称した草庵を一寺として建立、臨済宗妙心寺派に属した。 慶弔12年、家康公が草庵に立ち寄り「終に行み..
寛永6年(1629)玄門道幽和尚により、牛込津久戸明神下・隆慶橋際に開創された。 もと釈迦分院と称した草庵を一寺として建立、臨済宗妙心寺派に属した。 慶弔12年、家康公が草庵に立ち寄り「終に行みちとは誰もしりながら去年のさくらに風をまちつつ」と境内の桜樹を絶賛して詠んだと「遊歴雑記」にある。正保元年、境内地が上地となり市ヶ谷八幡付近、四ッ谷に移ったが、承応三年小石川小日向服部坂上に移転した。 玄門和尚は、寛文13年4月26日遷化するが、法嗣に竺道、雲厳、端外、雪牛、黙宗があり、旗本諸士の帰依が深く、俗に旗本寺と呼ばれていた。とくに五代将軍・綱吉公の宰相・柳沢吉保公との関係は深く、雲厳相尚に教えを乞うた吉保の書簡の数々が当寺に所蔵されており、柳沢吉保公室・橘染子、正室・定子夫人の両親の墓がある。 玄門道幽和尚によって開創されて350余年、法灯は絶えることなく現在に至っている。
臨済宗
妙心寺派
寛永6年(1629)
玄門道幽和