ながたじんじゃ
大阪府東大阪市長田2-8
長田から西堤にかけて細く続く旧集落は、古くは旧若江郡の北辺に広がっていた大きな湖沼(新開池)の南岸堤上にそって営まれた古い集落です。長田村の中央字相生と呼ばれた所に鎮座する長田神社は、品陀和気命(応..
長田から西堤にかけて細く続く旧集落は、古くは旧若江郡の北辺に広がっていた大きな湖沼(新開池)の南岸堤上にそって営まれた古い集落です。長田村の中央字相生と呼ばれた所に鎮座する長田神社は、品陀和気命(応神天皇)、息長足姫命、多紀理毘賣命の三神を祀っています。 神社の北方には、字、意伎宮屋敷、弓場と呼ばれた所があり、神社が焼失したため現在地に移されたといわれます。境内には本殿の他に末杜として賽神社、愛宕神社、稲荷神社、水神社、琴毘羅神社があります。長田の村内には、五基の『おかげ燈龍』 が残されています。この燈籠は江戸時代に盛んに行われた伊勢神宮参宮の記念物で、 ほぼ六十年おきに遷宮が行われる年の参宮は『おかげ年』といわれ、平年より一層のご利益があるということから、慶安三年(一六五〇)、宝永二年(一七〇五)、享保八年 (一七ニ三)、明和八年(一七七一)、文政十三年(一八三〇)と六回にわたって、各地集団でおかげ参りが行われました。おかげ燈籠は、市内の加納、菱江、荒本、箕輪にありますが五基も残っているのは、ここ長田だけです。 長田神社は平安朝には、延喜式内社に列格されて意岐部神社と称し、広大な境内を有した豪壮な神社であった。その後御社殿は焼失したので現在の地に遷御された。今の神社の近く東北の地に、意岐宮屋敷或いは射場の丁と云う字があり、昔を物語っている。
品陀和気命(応神天皇)、息長足姫命、多紀理毘賣命
式内社