とうでんじ
静岡県下田市1丁目14-5
稲田寺は、下田市では数少ない浄土宗のお寺で、15世紀の中頃に開かれたと伝えられています。また、仏像の漂着伝説の多い南伊豆地域でもめずらしい、開山上人の漂着伝説を持つという。 山門を入って右側の阿弥..
稲田寺は、下田市では数少ない浄土宗のお寺で、15世紀の中頃に開かれたと伝えられています。また、仏像の漂着伝説の多い南伊豆地域でもめずらしい、開山上人の漂着伝説を持つという。 山門を入って右側の阿弥陀堂に、平安時代後期の阿弥陀如来坐像(下田4岡市指定文化財)が安置されている。大浦にあった稲田寺末庵の西向院から移された客仏である。檜材の寄木造りで、像高は208センチメートルの南伊豆には例をみない大像である。近世の補修もみられるが、丸顔の穏やかな面相や、ゆるやかな肉どりは、定朝様式の典型的な作風を示している。後世の作と恩われる観音・勢至菩蔭を両脇に従え、三尊形式をつくっている。 幕末開港時には、ロシア使節プチャーチンとの文渉に当たった応接掛川路聖謨(せいぼ)の宿舎となり、その後下田奉行伊沢美作守が宿舎とし、安政の東海地震・4津波*1854)後、ここ稲田寺は仮奉行所ともなった。 なお、山門を入って左側には、安政の東海地震(1854)後の大津浪で犠牲となった人連を供養する津なみ塚が建立されている。また、お吉の夫となった川井又五郎(幼名鶴松)の墓もみられる。
・安政の東海地震後の大津浪で犠牲となった人達を供養する津なみ塚が建立されています。 ・お吉は鶴松の大好きだった山桃を墓前に供え、泣きながら冥福を祈ったといわれています。 ・阿弥陀堂に平安時代後期の伊豆では一番きな阿弥陀如来坐像があ...
敷根山
浄土宗
文正元年(1466)
阿弥陀如来
法蓮社本譽上人願阿性海和尚
文正元年(1466)
阿弥陀如来坐像(下田市指定文化財)
施餓鬼会(7/7) 十夜法要(11月)