かつうらはちまんじんじゃ
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字勝浦859番地
「当村鈴木某祖先より鎮守として崇敬せしところ、弘安年中(1278―1287)村民等同氏に恊議し氏神と為すと」いう『神社明細帳』。 古くは大勝宮と称せしとの伝承あり。 「慶長十五(1610)年の本..
「当村鈴木某祖先より鎮守として崇敬せしところ、弘安年中(1278―1287)村民等同氏に恊議し氏神と為すと」いう『神社明細帳』。 古くは大勝宮と称せしとの伝承あり。 「慶長十五(1610)年の本殿上棟式に始まり、新しくは明治四十三年本殿御造営の棟札あり」『神社財産登録台帳』。 (合祀) 明治44年9月15日、町内字祭渡島海中の岩上に鎮座無格社祭渡神社(祭神猿田彦神、由緒往昔備後国靹浦渡ノ神社より勧請すと云う)を本殿に合祀する。 明治10年8月15日、村内字神明に鎮座神明宮を本社境内へ移転する(祭神皇大神、保食神の2神、由緒不詳、社殿総欅白木桧皮葺流造、桁行3尺5寸、梁行2尺6寸5分、鈴門高さ6尺横開き5尺。 『神社明細帳』由緒不詳なれども「上鏡天和癸亥(1683)当神社神主三代末高橋杉太夫藤原実次代と銘記の御神鏡あり、当社神主四代高橋右近藤原実晴貞享三(1686)年より代々村社八幡神社の両社に奉仕す」とあり、『高橋文書』又町名にも神明、神角が残されており古き勧請なり。 但し昭和31年5月2日、社殿の老朽、裏山崩壊危険、護国神社建立等の事情により本社に合祀する。 後、昭和58年4月1日、突風による大樹倒木山崩れの直撃を受け御社殿は全壊する。 平成御大典記念事業として平成2年6月2日、勝浦護国神社として復元御造営成る(総桧銅板葺)。 (社叢) 昭和34年の伊勢湾台風により樹齢300年近き杉十数木がねじ切れなぎ倒され、更に平成2年の19号台風により椎ノ木の巨木でなる森が全滅。 御社殿近くの椰ノ木(樹齢推定400年)と境内の楠ノ木(昭和天皇御大典記念樹)を残すのみとなる。 平成御大典記念事業として馬目樫1,200本、杉桧等1.300本を植樹する。 (例祭) 「勝浦に過ぎたもの三つある、お寺と祭りと三水米」と古くは謡われた如く、例祭神輿渡御行列、還御舟行列を始め大黒天の黒塗り、櫂伝馬、徒士山伏、餅搗、獅子神楽、船謡等々多彩な伝統行事があり、古くからの年行司制度等も引継がれており、盛大な神賑行事が行われている。(和歌山県神社庁HP)
主祭神・応神天皇 配祀神・事代主神 少彦名神 八百萬神 猿田彦神 皇大神 保食神
有り