あさひじんじゃ
大阪府大阪市平野区加美正覚寺1丁目17-30
旭神社の鎮ります大阪市平野区加美正覚寺の地は、古くは“河内国渋川郡賀美郷橘嶋荘(里)”と称されており、その賀美(加美)澁河(渋川)の地名は、早くも『日本書紀』や『類聚和名抄』などに見え、古くから栄え..
旭神社の鎮ります大阪市平野区加美正覚寺の地は、古くは“河内国渋川郡賀美郷橘嶋荘(里)”と称されており、その賀美(加美)澁河(渋川)の地名は、早くも『日本書紀』や『類聚和名抄』などに見え、古くから栄えてきた地であった。また“橘嶋”の名が示すとおり旧大和川の本流であった長瀬川とその支流の橘川との間に出来たデルタ地帯であったと考えられている。 その産土神(うぶすながみ その地を守り給う神 氏神)旭神社には、その創 祀を今に伝える縁起『河内国渋川郡賀美郷橘嶋荘正覚寺村旭牛頭天皇若宮 八幡宮縁起』(外題には『橘嶋庄両社縁起』と記載)が伝わっている。 『縁起』によると、若宮八幡宮は、孝謙天皇の御世 天平勝宝6年(西暦754 年)8月、風雨がやまず人々が大変困っていたが、「水上より櫛笥と橘を流しそ のとどまった所を祝い、祭るのであれば水難を避け人々を安穏にさせよう」との 八幡宮のお告げが有り、大和国河内国の境からお告げのとおり“櫛笥(くしの 箱)”とを流した。“櫛笥”の流れ着いた所には「玉櫛明神(現東大阪市花園鎮座 津原神社)」を祭りし、また“橘”は当神社の鎮座地、賀美郷の川中の小島、す なわち当地に流れ着き、そのことが孝謙天皇のお耳に達し「東大寺の八幡宮 (手向山八幡宮)」を勧請して“若宮”と仰ぎ祭り、“橘”をご神木と定めた。とその 御鎮座の様子を伝えている。