応永十六年(一四〇九)大江備中守師親(初代片倉城主)の嫡子長井広房の内室、地蔵菩薩を深く信仰し寺有地内、中島と称せる所に安置し当寺第二世明友和尚住居、その後明応元年(一四九二)に至り今の地に本堂を建立地蔵尊を移し而て後、本尊弥勒菩薩、開山春林玄甫和尚を勧請し奉る。慶安二年(一六四九)徳川三代将軍より御代々高五石の御朱印拝領、写し現存す。宝永年間に焼失し、直ちに再建、明治十四年(一八八一)に至り、堂宇大破に及び檀信徒の同心協力、喜捨金により同十五年再建。大正十一年(一九二二)檀信徒の希望により斟珠庵を斟珠寺に改称、昭和六年本堂を瓦葺に庫裡を亜鉛葺き改め平成七年本堂を銅板葺きに改め今日に至る。