せいちゅうじんじゃ
栃木県下都賀郡壬生町本丸1-9-13
1712年(正徳2年)に創建された。祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした。徳川家康は元忠の忠義に報いるため、一時は山形藩24万石にまで加増した。後に子孫が不祥事を起..
1712年(正徳2年)に創建された。祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした。徳川家康は元忠の忠義に報いるため、一時は山形藩24万石にまで加増した。後に子孫が不祥事を起こしても、元忠の勲功を考慮し、特例として減封で許されている。鳥居忠英の代になって壬生藩に落ち着くことになり、元忠を祀る神社を創建した。
境内には、元忠が自害した血染めの畳を埋めた「畳塚」がある。江戸時代は江戸城伏見櫓にあったが、江戸開城の後、明治政府により壬生藩に払い下げられることになった。
他にも「干瓢発祥二百五十周年記念碑」がある。現在、栃木県の特産物となっている干瓢は、忠英が旧領の水口藩からユウガオの種子を取り寄せて普及させたのがきっかけである。
1712年、壬生藩主となった鳥居忠英は壬生城東北隅に祠を建て、鳥居氏の祖鳥居彦右衛門元忠を祀り、1799年には神祇管領吉田家から「精忠霊神」の神号を受けた。 嘉永二年(1849年)に現在の地に遷し、社殿を改めた。
精忠霊神(鳥居彦左衛門元忠公)
無各社
正徳2年(1712年)
入母屋造銅板葺
霊神様
9月8日
東武宇都宮線壬生駅より徒歩約15分
有り