ことひらじんじゃ
岡山県津山市加茂町中原899
寛文年中に大字中原住の某が、讃州金刀比羅宮を崇敬し浄財の寄進を享けて、御分霊を日詰山の山頂に奉斎した。明治四十三年に西加茂地区内鎮座の村社大三輪神社(美作国百十二社記に美和郷一宮と所載の神社)美弥計..
寛文年中に大字中原住の某が、讃州金刀比羅宮を崇敬し浄財の寄進を享けて、御分霊を日詰山の山頂に奉斎した。明治四十三年に西加茂地区内鎮座の村社大三輪神社(美作国百十二社記に美和郷一宮と所載の神社)美弥計神社・楢井神社・神戸神社・滝神社・三社神社・山祇神社・天真神社・大森神社の九社を、この日詰山頂の地に遷座して、金刀比羅神社と改称した。次いで明治四十四年十一月、元村社黒木神社・八幡神社・木山神社・中倉神社・八幡神社の五社を合祀した。明治四十五年五月宇野神社・大路原神社・八幡神社・天満神社・日能目神社を合祀した。慶長十九年森忠政の美作国入封以来、宇野神社に祭祀料の寄進があった。昭和四十九年五月全社殿が炎上し、昭和五十二年四月現社殿が、氏子等によって再建せられた。
大物主神
村社
寛文年間
有り