しんぜんこうじ
京都府京都市東山区泉涌寺山内町31
泉涌寺山内に、塔頭・新善光寺(しんぜんこうじ)がある。 真言宗泉涌寺派、本尊は阿弥陀如来立像。 泉山(せんざん)七福神の番外、愛染明王。 ◆歴史年表 鎌倉時代、1243年、僧・値願念西が..
泉涌寺山内に、塔頭・新善光寺(しんぜんこうじ)がある。 真言宗泉涌寺派、本尊は阿弥陀如来立像。 泉山(せんざん)七福神の番外、愛染明王。 ◆歴史年表 鎌倉時代、1243年、僧・値願念西が歓進し、第88代・後嵯峨天皇の御願寺として当初は一条大宮の地に創建された。勅命により、信州信濃・善光寺の本尊を模し、本尊・阿弥陀如来立像を鋳造した。善光寺に因み山号は新善光寺と称した。(寺伝) 南北朝時代-室町時代、庶民の崇敬を受け、寺領も整い、寺運隆盛になる。 室町時代、応仁年間(1467-1469)、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失した。 1473年、第103代・後土御門天皇の勅命により泉涌寺山内に移される。 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、孤雲正瑞により現在地に移り再興された。 1673年、現在の方丈が建てられた。 ◆仏像 鎌倉時代、1243年、第88代・後嵯峨天皇の勅命により、大工・藤井為行、小工・沙弥教弘らは信州信濃・善光寺の本尊を模して金銅の阿弥陀如来立像を鋳造し本尊とした。 ◆文化財 江戸時代の狩野派による襖絵58面がある。 ◆七福神巡り 泉涌寺山内の七福神めぐり(成人の日)は、泉涌寺(泉山)七福神巡りとして塔頭9か寺を巡る。1951年以来続けられている。これらを福笹を持ちお参りしていく。 第1番は福禄寿・即成院、第2番は弁財天・戒光寺、番外の愛染明王・新善光寺、第3番は恵比寿神・今熊野観音寺、第4番は布袋尊・来迎院、第5番は大黒天・雲龍院、番外の楊貴妃観音・泉涌寺本坊、第6番は毘沙門天・悲田院、第7番は寿老人・法音院。 ◆墓 知恩院初代門跡・良純親王の宝篋印塔が立つ。 知恩院初代門跡・良純親王(1604-1669)は、島原林屋の名妓・八千代太夫(?-1679)と懇意になり、京都所司代・板倉重宗は、八千代を落籍させ当初は知恩院前に住まわせた。 親王の兄、第108代・後水尾天皇は二人の仲を知り、怒り、勅命により二人を山梨天目山に永久追放した。だが、17年後、二人は上皇に許されて帰洛、当院において一時暮らした。その後、八千代は世を憚り近くの民家に身を隠した。 1664年、親王は還俗し、晴れて両人は夫婦となる。その後、瑞光院(上京区)に移り、院内の以心庵に暮らしたという。以後、親王は以心庵と号し、八宮重雅と名乗った。その5年後に親王は亡くなる。 瑞光院の過去帳には夫婦の名があったという。新善光寺には良純親王の宝篋印塔が墓地の裏に立つ。八千代の墓は、かつて瑞光院近くに姫塚としてあったという。 ◆桜 境内に枝垂桜が咲く。 ◆年間行事 泉山(せんざん)七福神巡り(1月成人の日)。
真言宗
泉涌寺派
寛元元年(1243年)
阿弥陀如来
値願念西
後嵯峨天皇
寛文年間(1661年~1673年)
孤雲正瑞
泉山七福神巡り番外(愛染明王)
無料
なし