くになかじんじゃ
大阪府四條畷市清滝中町4-48
当神社の創建時の記録は現存しておりませんが醍醐天皇の御代延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきました。 国中と云..
当神社の創建時の記録は現存しておりませんが醍醐天皇の御代延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきました。 国中と云う名の如くこの地域の中心として所謂る四神相応の御鎮座地として最適な処であった事が今日でも明白であります。 東に生駒山・飯盛山の麓より流れくる清滝川に沿い西に大阪平野を見晴らかし南に浪速の港より奈良の都へ通じる清滝街道に接し北には清滝古墳群の丘陵地に囲まれた景勝地でもあり創建時より御鎮座地が一度も移動した記述はありません。 尚当神社は明治以前にこの地域の人達は口伝ですが別名大蛇宮と称していたとの記述がありますが何故大蛇宮なのか確定的な資料は見当たりません。 又旧社殿の建築年代についても詳細は判明しませんが建築様式上から推定すると延宝(一六七三年)頃の建築であると推定されていますが安永八年(一七七九年)江戸幕府による社殿改修許可を得て改修された記録に続き天保三年(一八三三年)にも改修した記録がありますがその後については昭和二十九年一月(一九五四年)本殿の屋根・神具庫の修理に続き昭和四十年(一九六五年)拝殿の改築・本殿の修理の記録があります。 又社務所については平成六年三月(一九九 四年)焼失につき平成七年五月(一九九五年)に再建され社殿・神具庫については近年に至り荒廃が進み維持管理がむづかしくなり氏子崇敬者の皆様のご協賛を得て平成十二年十二月(二〇〇〇年)社殿・末社(小宮さん)・神具庫を大改築すると共に玉垣建立境内の整備も併せて実施し今に至っております。(大阪神社庁第三支部HPより)
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