かもじんじゃ
和歌山県海南市下津町下567
当神社は欽明天皇23(562)年の頃、京都賀茂両大明神を雄佐素根おさすねなる者が勧請し、下村と梅田の境花渕と称する所に齋き祀られたと伝えられている。 地名の総名の加茂谷も京都の賀茂信仰が広がるとと..
当神社は欽明天皇23(562)年の頃、京都賀茂両大明神を雄佐素根おさすねなる者が勧請し、下村と梅田の境花渕と称する所に齋き祀られたと伝えられている。 地名の総名の加茂谷も京都の賀茂信仰が広がるとともに、この地も賀茂社の神領となり、生れたものであろうといわれている。 大祭は毎年5月5日で葵まつりと称す。 御相殿の八幡宮は、後奈良天皇天文18(1549)年加茂の城主、左近太夫藤原春宗の勧請により、場所も現在の地に移し合祀する。 加茂氏の氏神とする。 古くは賀茂大明神とも、賀茂八幡両社とも称し、7ケ村の産土神として、祀られて来た。 現在は5地区の氏神として奉斎されている。 明治末年に、加茂神社神宮寺の本尊である阿弥陀如来の座像(相殿に祀られる八幡の本地仏)が下津の長保寺に移されたが、藤原時代の後期の作とされている。 (例祭) 加茂社の例祭は毎年5月5日に斎行され、御旅所である御幸芝に渡御が行なわれ、境内では大投餅等で賑わう。 10月第2日曜日には八幡社の例祭が斎行される。 各地区奉賛会による、その年の干支など趣向を凝らした太鼓山車揃えから始まり、鬼2人と7人の若者が相呼応して舞う古式豊かな獅子舞が奉納されるが、変化に富み特に獅子が大型で笛や太鼓の音も純朴で美しい、青年神輿、子供神輿と続き盛大である。(和歌山県神社庁HPより)
別雷神 品陀別命
木造銅板葺流造
5月5日 10月第2日曜日
獅子舞(市指定) 棟札(市指定)
無料
約15分
有り