はぐろじんじゃ
青森県黒石市浅瀬石字清川136
延暦十三年(794)坂上田村麿により勧請され、寛治七年(1093)、八幡太郎源義家が守兵を遣わせ国家安泰、武運長久を祈ったと伝えられる。建長四年(1252)、初代浅石城主千徳行重が再興以来、千徳家代..
延暦十三年(794)坂上田村麿により勧請され、寛治七年(1093)、八幡太郎源義家が守兵を遣わせ国家安泰、武運長久を祈ったと伝えられる。建長四年(1252)、初代浅石城主千徳行重が再興以来、千徳家代々厚い信仰を寄せ、しばしば御社殿を修築し、田村羽黒宮と尊称し、領内第一の大社として殷賑を極めた。しかし、慶長二年(1597)、浅石城落城と共に灰塵に帰したが、同四年、大浦為信により再建され、浅瀬石村の氏神と定められた。当時の鎮座地は、旧浅石城の寺社屋敷にあり、村落から離れていた為、宝永七年(1710)現在地に奉遷された。明治三年、羽黒神社に改称、高賀野村八幡宮を合祀し、旧浅瀬石村の村社となった。
倉稲魂命・誉田別命
旧村社
旧6月2日