たまるじょうあと
三重県度会郡玉城町田丸字城郭114-1
田丸城は南北朝時代に伊勢に下った北畠親房が南朝方の拠点として築いたのがはじまりと伝わる。15世紀後半は愛洲氏が城主となり、愛洲氏は後に田丸氏を名乗った。 永禄12年(1569)、織田信長は伊勢侵攻..
田丸城は南北朝時代に伊勢に下った北畠親房が南朝方の拠点として築いたのがはじまりと伝わる。15世紀後半は愛洲氏が城主となり、愛洲氏は後に田丸氏を名乗った。 永禄12年(1569)、織田信長は伊勢侵攻を開始し、次男信雄に北畠氏を継がせ、伊勢一国を支配下に置いた。信雄は田丸城を改修し一時本拠地としたり、田丸氏が城主に復帰するなど紆余曲折するが、稲葉氏を経て、元和5年(1619)に紀伊徳川家の家老久野氏が城主となり、以後幕末まで続いた。 明治維新後、城内にあった建造物はほぼ全て解体されたが石垣や堀の一部の遺構は今も残っている。 田丸城は城の成り立ちから、織豊系の近世城郭と南北朝時代の中世城郭の特徴を併せ持つ貴重な城郭である。 平成29年(2017)に続日本100名城154番に指定された。
□電車〜JR参宮線「田丸駅」から徒歩10分 □車で〜伊勢自動車道「玉城IC」より車で10分
随時
無料
30分〜1時間
あり(玉城町役場、玉城中学校前)
あり