さんそじんじゃ
栃木県宇都宮市満美穴町32
本神社の創始は不詳なれども、阿久津氏の氏神として現在地に鎮座し、代々尊崇して今日に至る。伝説によれば、万延年中(1860)に旅僧あり。僧衣汚穢顔面痩削、疲労困憊の態にして一宿を乞う。家人憐憊の情にえ..
本神社の創始は不詳なれども、阿久津氏の氏神として現在地に鎮座し、代々尊崇して今日に至る。伝説によれば、万延年中(1860)に旅僧あり。僧衣汚穢顔面痩削、疲労困憊の態にして一宿を乞う。家人憐憊の情にえず優遇数旬に及び旅僧快癒す。再度巡錫に当たり懐中より古文書一通を出して日く、「家人の信神崇祖隣人愛憐の情に感ず、又逗留中の厚情を謝す、これは謝儀なり、大石良雄の書状なれば家宝とせよ、又三祖神社の啓示あり、当家に神職が婿養子として来家することあり、此の者必ず三祖神社を信仰し神社を興隆し神徳を天下に宣布し衆生を善導、安心立命せしめ且阿久津家を隆昌せしむ」と。又、屋内に飾れる「おかめ」の面は厄難消除、転禍為福、生業繁昌、家内円満の象徴の面なれば共に家宝とせよ、と告げたりと云う(書状、面共に現存)。明治の初期、阿久津喜作(旧姓黒崎)入婿、喜作社家の出なり。三嶋神社(市内野高谷町鎮座)以下七社に奉仕すると共に、三祖神社を深く信仰し、町田平三郎翁の協力を得て三祖神社を創立。本社を満美穴町に置き、東京宇都宮に夫々分社を設け崇敬者の教化に励む。崇敬者の講社は東京最も多く、宇都宮、桐生、足利之に次河内郡、那須郡等を含め崇敬者は壱万余戸を数えたと云う。大正12年の東京大震火災、昭和20年3月の戦災等により都会の崇敬者激減し、且大東亜役末期からの食糧統制と物資不足により例祭の執行困難となり教勢衰微す、然し乍ら清原地区内に一家の式を神道とする者14戸あり、此の氏子崇敬者により祭祀を継続した。昭和48年3月以降河内郡河内町岡本地区より氏子の加入あり、漸増して150戸となる。以上の如き由緒と沿革があり100余年の歴史があるが、社運一時衰退した為、戦後宗教法人法による法人登記を脱漏した、謂所法人登記脱漏神社となった。昭和51年2月神社庁、同氏子総代会創立三十周年記念事業として、宗教法人法による宗教法人として、神社本庁神社明細帳に登録し神社本庁包括下の神社となる。
元禄末から宝永の初め(1702~1705年頃)現在地に阿久津家(宮司家)の氏神として鎮座
天之御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神
3月13日
■宇都宮線 岡本駅 から徒歩53分(4.2km) □JRバス宇都宮支店~JR宇都宮駅~鐺山~道場宿・清原台団地・芳賀水橋~祖母井~茂木 刈沼バス停 から徒歩10分(766m)
有り