きしゅうじんじゃ
東京都北区豊島7-15-1
鎌倉時代後期、紀州熊野から来た鈴木重尚が豊島氏とはかり、 五十太郎神社を王子村に勧請したのがはじまりです。 地元の人々から「紀州さま」と呼ばれ、親しまれています。 言い伝えによると、現在の場所に..
鎌倉時代後期、紀州熊野から来た鈴木重尚が豊島氏とはかり、 五十太郎神社を王子村に勧請したのがはじまりです。 地元の人々から「紀州さま」と呼ばれ、親しまれています。 言い伝えによると、現在の場所に移ったのは天正年間に豊島村と王子村との水争いが原因で、 豊島村の甚兵衛さんら村人によって、ご神体が豊島村の宮前(今の豊島6丁目)に移されたのですが、 王子村に近かったため「取り返されてはいけない」と、 村のはずれの同じく宮前(今の王子5丁目)と呼ばれていた場所へ移されました。 ところが村はずれの寂しい場所に移されてしまった紀州さまは、 村人の夢枕に立って「もっと賑やかなところへ行きたい」と告げました。 何人もの村人が同じ夢を見たので、相談して現在の豊島七丁目へ移されたのだそうです。
鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。
五十猛命 大弥津姫命 柧津姫命
鎌倉時代後期
8月第4土曜・日曜
JR・地下鉄南北線「王子駅」よりバスハートアイランド行「豊島7丁目南」