おづじんじゃ
滋賀県守山市杉江町495
日本武尊の孫小津君がこの地を開拓して農耕に従事し、子々そのこころざしをついで農産の発展をはかり、のち祖神をまつったのが、現在の神社であると伝えられている。允恭天皇の皇姫玉津姫の願により、大宅臣木事連..
日本武尊の孫小津君がこの地を開拓して農耕に従事し、子々そのこころざしをついで農産の発展をはかり、のち祖神をまつったのが、現在の神社であると伝えられている。允恭天皇の皇姫玉津姫の願により、大宅臣木事連に命じて、宇迦之御魂命をまつって主神と仰ぎ、更に素盞鳴命、大市姫命をまつって現在に至る。社記によれば欽明天皇二十八年洪水により社殿琵琶湖へ流失したとあり、また延喜式内社として庶民の信仰をあつめ、武門名将の崇敬もあり、文応元年相模守越後守在判の御洪湯田の神納もあり、高島郡安積川(安曇川)御網代の寄進もあった。更に建武二年足利尊氏は小津明神領、先例にたがうことなく、境内に甲乙の乱入殺生伐木狼藉を停止せしめる下知状を差したてている。文正・応仁の争乱で兵火に遭い、灰燼と帰した本殿を佐々木近江守高頼によって再建、ついで永正二年の兵乱のため炎上した本殿を山門の僧実観明舜房によって、十八か年の歳月を経て再建、現存の本殿がこれである。神宮寺、智泉院は天台宗山科毘沙門堂の門跡末寺として、社僧によって諸祭儀をいとなみ、今日廃寺となり境内近くに護摩堂のみを残している。旧社格は県社である。
宇迦之御魂命 〔配祀神〕素盞鳴尊 大市姫命
式内社(小)
一間社流造 (重文)
長刀踊(文化庁選択無形民俗文化財) 5月 5日
本殿(重要文化財)
あり