いしぬきじんじゃ
宮崎県西都市大字三宅4615-ロ
古くは日能若宮又は石貫大明神と称し、創建は天平五年と伝え、一千有余年の社歴を有する古社である。その社地は創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山槵木原五百世山元築波山云..
古くは日能若宮又は石貫大明神と称し、創建は天平五年と伝え、一千有余年の社歴を有する古社である。その社地は創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山槵木原五百世山元築波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺称と伝える。往時は社殿、境内、宏荘森厳で、真に筑波御殿の名に背かざるものであった。弘治二年(1556)六月の「古帳神社知行目録」によれば、神田十二町一反歩を有し、応永二十四年(1417)社殿改修に当たり更に神饌田が加増され、以来応永二十五年、二十六年、二十七年、永享二年(1430)四月、同十一年五月、天文三年(1534)四月、同年十二月にわたりて、神饌田の増加の記録が現存する。しかし天正十五年(1587)豊臣秀吉、島津出兵の際、羽柴秀長、兵を率いて都於郡に陣営した時、当時の石貫神社の祠官が軍令に従わなかった事によって社領は没収された。明治初年神社明細帳制定に際してもまた登録を脱漏することになった。明治十四年十二月二十七日付明細帳編入を出願し昭和十六年四月無格社となった。 境内神社として、赤井神社(祭神・木花開耶姫命外一柱)、門神社(祭神・岩間戸二柱之神)、二宮神社(祭神・児屋根命、太玉命)、風神社(祭神・級戸神外四柱)、篠貫神社(祭神・磐長姫命)がある。
大山祇命(おおやまつみのみこと)
天平五年(733)
本殿(流造)5坪 拝殿22.3坪
十一月二十九日
西都ICより車で約25分