ひえじんじゃ
新潟県上越市寺町3丁目1−19
社伝によれば、仁寿3年(853)越後権守坂上正野が関川東岸(直江津の対岸)の衾野に日吉大社の御分霊を勧請したことに始まる。 慶長3年(1598)領主の堀秀治が衾野に福島城を築き、春日山城から移った..
社伝によれば、仁寿3年(853)越後権守坂上正野が関川東岸(直江津の対岸)の衾野に日吉大社の御分霊を勧請したことに始まる。 慶長3年(1598)領主の堀秀治が衾野に福島城を築き、春日山城から移った際、社地が城内に含まれることになったため、城内の鎮守として崇敬された。次いで領主となった松平忠輝が高田へ居城を移すと、当社も高田城下の裏寺町に遷り、高田城鎮護および城下30ヶ町の総鎮守とされた。寛文5年(1665)地震で社殿が大破し、現社地に遷座する。同9年(1669)正一位を授けられる。 明治6年(1873)村社に列格、同15年(1882)郷社に昇格。さらに昭和8年(1933)県社に昇格した。
大山咋命〔おおやまくいのみこと〕 〈相殿〉 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕 豊受大神〔とようけのおおかみ〕 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕 宇賀之魂命〔うかのみたまのみこと〕
旧県社
仁寿3年(853)