のしまじんじゃ
宮崎県宮崎市内海6227
文安三年(一四四六)十二月三日、田口久次が創立したその棟札に『白髭大明神の御堂を造り奉る趣旨は、金輪聖皇・天長地久国土泰平、殊には信心願主田口久次のため、武運長久子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣・並びに..
文安三年(一四四六)十二月三日、田口久次が創立したその棟札に『白髭大明神の御堂を造り奉る趣旨は、金輪聖皇・天長地久国土泰平、殊には信心願主田口久次のため、武運長久子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣・並びに氏子等の無病自在・寿命長遠・家内安穏・福責増長・諸人授楽・よろず心中の祈願悉く皆満足せしむるのみ、よって精誠を致し造立奉る』とある。 また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。
伝説(縁起) 野島神社には童話に出てくる浦島太郎のそっくりの伝承民話がある。 それは、天歴三年(九四九)八月に遡のぼる。野島の浦人橘尊俊という者、この浦辺で長い白髪の老人に出会った。その老人が『私は、丹州の者であるが、久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。ここに私を祀っていただきたくなら幸いである。』と言って消え去った。尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。 また、浦島子伝及び扶桑略記載には、『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。
塩筒大神(しおずつのおおかみ) 猿田彦神(さるたひこのかみ) 上筒大神(うわつつおのかみ) 中筒大神(なかつつおのかみ) 底筒大神(そこつつおのかみ)
村社
文安三年(1446)12月3日
本殿(流造)1坪 拝殿6坪
春の例祭 3月20日 秋の例祭 11月23日
月次祭:毎月最初の週末 6月と12月末:大祓
500年の伝統を誇り、伊勢神楽の系統で「降臨の舞」と「里舞」とで成り立ちます。古くより加江田神社と共演していましたが、寬文2年の外所地震以降、野島に残し継がれ、33番のうち22番程伝承しています。
JR小内海駅より徒歩3分
有