とおるじんじゃ
滋賀県大津市伊香立南庄町1846
抑もそも当神社は、人皇第52代嵯峨天皇の第8皇子源融公をお祀りする全国唯一つの神社であります。 当地は、融公の荘園で現在の社地は公が宇多天皇、寛平年間に南庄村牟禮の岡山に閑居賜ひし旧跡であり、..
抑もそも当神社は、人皇第52代嵯峨天皇の第8皇子源融公をお祀りする全国唯一つの神社であります。 当地は、融公の荘園で現在の社地は公が宇多天皇、寛平年間に南庄村牟禮の岡山に閑居賜ひし旧跡であり、朱雀天皇天慶8年に旧地に祠を建て鏡一面を御神璽として融公を祀られた事が当社の創始である。 寛和2年花山法皇、近江巡幸の時社殿を造営在らせられ正一位融大明神と崇称せらる。 一條天皇、永延2年南庄の水田百町歩を神領とされ、之を始めとし御歴代天皇奉幣の例有しが、鎌倉時代以後、次第に衰微し遂に廃絶せり。 其の後、南庄・谷口・家田・三村の産土の神と成った。 元亀2年、信長の延暦寺焼討ちにあい、社殿其の他焼亡した。 天正7年に至りて社殿を再興し神璽を奉遷された。 後世この神領は武家の所領と成った。 寛政8年、再び社殿火災に罹えい、勅書、神宝等焼失す。 同9年、社殿及び末社等再造営され現在に至る。 嵯峨の清凉寺、宇治の平等院などは公の別荘でもあった。 又、公は小倉百人一首 陸奥の しのぶもじずり 誰故に 乱れ染めにし 我ならなくに の読人でもある。 後の世に紫式部は、光源氏の名で源融公をモデルとして源氏物語を作ったのである。 (融神社由緒書より引用)
御祭神:正一位河原の左大臣 源融公 配祀神:大原全子(融公の母親) 大山咋の神(山の神)
4月29日
神誘進の神事
無し