かめおかはちまんぐう
栃木県芳賀郡益子町小宅1369−1
後冷泉天皇の康平年中(1058~65)源義家が勅命を奉じ奥州の安倍貞任等を征伐の途次芳賀郡古家郷(現小宅付近)の館に宿した。 その地は旧跡御館山と称し現在の芦沼あり時に石清水八幡宮を遙拝戦勝を祈願..
後冷泉天皇の康平年中(1058~65)源義家が勅命を奉じ奥州の安倍貞任等を征伐の途次芳賀郡古家郷(現小宅付近)の館に宿した。 その地は旧跡御館山と称し現在の芦沼あり時に石清水八幡宮を遙拝戦勝を祈願、その時芦橿沼上に大霊亀が現れ奇瑞を示したので、大いに喜び進み夷賊を討滅、凱旋の後社殿を創建し康平七年(1064)勅命を以って亀岡八幡宮と称したことに始まる又、多数の神領を寄進したとつたえられる。その後源頼朝が藤原泰衡を征する時往年の吉祥を慕い、当社に武運長久祈願その効験霊徳あらたかにより、建久三年(1192)社殿改築更に建久八年(1197)社殿を現今の小宅に遷座以来代々武門の崇敬するところとなった。慶長五年(1600)徳川家康は数多の神領を寄進、それより後徳川将軍は累代崇敬、慶安二年(1649)将軍徳川家光より郷内の領地高十四石の朱印地と高七石の除地が寄進された。明治戊辰戦役の際は官軍が古例にならい百日百夜の戦勝祈願を行った。
誉田別命 息長帯姫命 玉依姫命
旧郷社
康平年間(1058~1065年)