つなじんじゃ
栃木県芳賀郡益子町上大羽945
建久五年(1194年)土佐国に配流されていた宇都宮家三代朝網が土佐の加茂明神に帰還を祈った甲斐あって罪を赦され大晦日に帰国。2年前の建久三年(1192年)に宇都宮家の菩提寺として建てておいた地蔵院に..
建久五年(1194年)土佐国に配流されていた宇都宮家三代朝網が土佐の加茂明神に帰還を祈った甲斐あって罪を赦され大晦日に帰国。2年前の建久三年(1192年)に宇都宮家の菩提寺として建てておいた地蔵院に隠居する。宇都宮家墓所の南山腹に加茂明神を勧請し,土佐明神を建立する。ここから帰国の翌年あたりの創建説が有力と思われる。また別の伝説によれば,帰国前に加茂明神の勧請が国元に命じられており、村民は大晦日に間に合わせるため門松の準備も取りやめ,机を逆さにして祭神を祀ったとされており,建久五年(1194年)創立の説が生まれてくる。このため現在でもこの地では門松を飾らない。この場合も社殿の建立は翌年か、翌々年の建久6-7年創建となる。古い神社である。土佐明神,通称は朝網の綱から綱明神。文明四年(1472年)本殿改築、「綱明神」と改称したらしい。大永七年(1527年)に改築。維新に際して「綱神社」と改称する
味耜高彦根命
建久5年(1194年)