どうしょうじ
岡山県小田郡矢掛町横谷3796
矢掛町の南端、遙照山のふもと、深い緑に囲まれた舟木谷に洞松寺はある。舟木山の山号はこの地が神功皇后の朝鮮出兵に関して、兵船のための舟材を献じたことに由来し、「洞松の司」という地名をうけたという。 ..
矢掛町の南端、遙照山のふもと、深い緑に囲まれた舟木谷に洞松寺はある。舟木山の山号はこの地が神功皇后の朝鮮出兵に関して、兵船のための舟材を献じたことに由来し、「洞松の司」という地名をうけたという。
古代天智天皇の行幸の時南都興福寺の光照菩薩をまつり、仏閣を建立し、舟木山洞松司院として開創され、のちに和気氏により、七堂伽藍が整備され三十六坊をもつに至った。
安徳天皇臨幸のとき、船破却し、舟材を献じ洞松司院を洞松寺と称すと伝えられる。
中世期、寺運衰退していたが、室町期末、喜山性讃禅師は(大本山総持寺百世)応永十九年(1412)、猿掛城主庄駿河守の帰依をうけ、洞松寺を中興開山し、師恕仲天 禅師を勧請開山として、自ら第二世となった。布教数年にして、四方より修行僧があつまり大道場となった(喜山性讃・恕仲天 頂像は岡山県指定重要文化財)
また、五世崇芝性岱和尚より輪番住持制が確立され(末山・門葉の住職が順次交代し、住職争いや、門葉の分裂をさけ本寺の発展を期する制度)江戸時代の明暦年間(1656~58)まで約二百年間に八十世に及んでいる
岡山県小田郡矢掛町にある禅宗(曹洞宗)の巨刹。境内の建物は国の登録有形文化財である。猿掛城主庄氏や毛利氏の帰依をうけ、最盛期には備中国を中心に1200の末寺を従えた中本山として栄えた。中国地方で唯一の曹洞宗、専門僧堂(修行道場)
舟木山
曹洞宗
中本山
伝、天智天皇時代
宝冠釈迦如来
不明
応永19年(1412)
喜山性讃
備中良寛こころの寺巡り 三番
井原鉄道三谷駅から車で5分
無料
有り