のうまんじ
広島県福山市西町1‐20‐3
当寺の開創は遠く、平安朝の末期、平家の全盛である治承四年。高倉上皇の勅願寺と伝う。当寺は真言宗松熊山常興寺と称し、現福山城のある城山にあったが、健仁二年、杉原伯耆守光平が備後守護職となり芦田八尾山城..
当寺の開創は遠く、平安朝の末期、平家の全盛である治承四年。高倉上皇の勅願寺と伝う。当寺は真言宗松熊山常興寺と称し、現福山城のある城山にあったが、健仁二年、杉原伯耆守光平が備後守護職となり芦田八尾山城によって以来、子孫代々この寺を菩提寺となした。能満寺の紋章の剣巴は杉原家の紋である。 元和元年、水野勝成公が福山城を新築するに際し、常興寺を東北艮の方向に移し表鬼門の守護寺とし(元胎蔵寺)、能満寺を西南未申の方向に移し裏鬼門の守護寺となした。 当時城下にいまだ寺なく、よって福山城下における最古の寺という歴史を有している。
妙智山
普門院
高野山真言宗
治承四年(1180年)
聖観世音菩薩
瀬戸内三十三観音霊場 第23番札所 福山西国三十三観音霊場 第25番札所
有り