みょうこうじ
神奈川県横浜市中区妙香寺台8
當山は、本牧山妙香寺といい、日蓮大聖人の教えに従う宗教団体で横浜市の有数の寺のひとつに数えられています。 寺記によれば、弘仁五年甲午歳(814)真言宗の開祖弘法大師(空海)の創立とされ、本牧山東海..
當山は、本牧山妙香寺といい、日蓮大聖人の教えに従う宗教団体で横浜市の有数の寺のひとつに数えられています。 寺記によれば、弘仁五年甲午歳(814)真言宗の開祖弘法大師(空海)の創立とされ、本牧山東海寺と称し薬師如来を本尊として まつられていました。また境内は八町四方におよび、寺領も百二十五町の広大な土地を有し、さらに末寺も四十九ケ寺に達したとしるされております。 しかし、文永元年甲子歳(1264)東海寺歴代法印昌香、たまたま日蓮大聖人の教化により、ついに仏の正法法華に帰依し宗を転じ衣を更え 名を日能、寺を連昌山妙香寺と改めました。(湯浴みの祖師の由来はこの折の状況を語るものです)その後、大本山法華経寺 (千葉県市川市中山)第二中老僧日高上人[大田五郎ヱ門乗明の子]を擁して始祖とし、日能みずからへりくだり、 第二祖となりました。すでにこの時にあたって末寺はことごとく本郡堀之内宝生寺(横浜市南区堀之内町、高野山真言宗)に転属 したといいます。寺領もまたことごとく没せられました。 その後、応永二十年(1413)頃、改宗より十世の日英上人(当山中興 千葉大隅守胤貞の一族)に至り、堂宇の壊頽すこぶる荒廃し 境内寺領が非常に少ないのをなげいて復活に努力しついに寺領境内をもとに復し、また末寺壇越の帰するものも多く見るに至りました。 さらに天文年間(1532~1555)中興日英上人より九代日了上人に至って別添不受施の大法乱に際し、寺領の証券等、紛争の時に失い 末寺属坊も随って離散するに至りました。それより下り、天正九年辛巳歳(1581)すなわち日英上人より百年後、日現上人に至って、 徳川家の帰依するところとなり、あらたに本牧の地十石を賜い、境内不入の証も付せられるに至りました。 ついに寛文十二年壬子歳(1672)日威上人に至って大いに力をそそぎ堂宇を整え以来百有余年、法燈連綿と続き題二十九世日相上人代に至り横浜開港となり当地の人口増大し檀徒大いに増加を極め寺観ますます隆盛をみるに至り、ここにおいて、更に 山号を本牧山と改称しました。 降って明治三十八年三月、当山三十二世日疑(にちぎ)上人の代において千葉県の常福寺(匠瑳郡椿海村椿・旧地名)を末寺として付与し寺格昇進 して中本寺格となりました。 大正十二年九月一日関東大震災にて本堂、浄行堂、番神堂 倒潰、大黒堂が消失しました。その後復興に着手しましたが、昭和二年一月十日失火、全山焼失。ただちに宗務院の特命により三十三代日綱上人 (当山中興)入山し、昭和六年に復興しました。
本牧山 (ほんもくさん)
日蓮宗
弘仁5年 (814年)
空海
日綱上人
本牧山 妙香寺